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テレビに出演するとき、スーツ以外ほとんど自前です。同じ服は基本的にテレビでは一度しか着ません。だから年間に購入する洋服はものすごい数になります。テレビの露出は、消費なんですよ。洋服というものを通して、中西哲生というものが視聴者に見透かされたら、終りだと思うんです。だからたえず自己革新していかなければならない。たかが洋服、されど洋服かな。洋服のタグや荷物の梱包などもスイスカードで解いています。ツールがひとつひとつ独立しているでしょう。かといって、ジャラジャラしない。それぞれのツールがしっかり造ってあって、発想が豊かです。これも使いやすい理由のひとつかな。ピンセットも使いますし、線を引くときも、ぼくはスイスカードを使います。 |
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現役を引退して、いまはスポーツジャーナリストという立場でサッカーに関わっていますが、ぼくの番組を観て、視聴者の方が一人でも多くサッカーに関心を持って、スタジアムに足を運んでくれればいいと思っています。ぼくの場合、偉大なサッカー選手のようにただ「いまのプレーはすごい!」と絶叫するだけでは人を引きつけられないと思うんです。サッカー経験のない人でも「そうか」と納得できるように伝えなければいけない。そのためには現場に直接足を運んだり、選手やコーチとコミュニケーションをとって、試合の結果に一喜一憂しない、論理的で長期的な中西哲生的視点にこだわった解説を通じて、サッカーのすばらしさ、醍醐味を伝えたいということです。 |
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プロのサッカー選手を目指したのは同志社大学の2年生のとき。当時の同志社は強かったですね。スタメン11人のうち10人がJリーグに行きましたからね。ちょうどJリーグが誕生した年で、ぼくたちは1期生なんですよ。ぼくの地元、名古屋グランパスエイトからお誘いいただいたので行くことにしました。そこで5年間プレーして、その後、川崎フロンタ−レに移籍しました。ぼくが現役でプレーしていた頃に比べたら、日本のサッカーのレベルは相当上がっています。海外で活躍している選手も多いし、日本の代表は本当に強くなったと思います。それを支えているのはやはりJリーグだし、Jリーグぬきに日本のサッカーはありえないわけです。 |
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Jリーグの下にJFL、JFLの下に関東リーグの1部・2部、そしてその下に東京の1部〜4部の組織があります。ぼく自身も、東京4部の「C.A.Real
Tokyo(クラブ・アトレティコ・レアル・トキョウ)」というプロチームのオーナーの一人として、また監督兼プレイヤーとしてがんばっています。公式試合が年間10試合ほど、練習試合を含めると20試合くらいかな。河川敷グランドなどを借りてゲームをしているんですが、たとえば10年後にJリーグに昇格して、「あのチームはお父さんが高校の時代から応援しているチームだよ」と息子に自慢できる、そんなチームに育てていくのが理想です。Jリーグでなくとも県リーグの1部でもそれはすごいことなんですね。地域のサポーターに愛される地域のチームから、将来の日本の代表を背負って立つ選手が生まれ、育っていけば、多くの人がわが事のようにその選手を応援するでしょう。それがサッカー文化の裾野のひろがりということです。これからも様々な形で日本サッカー界の発展のために少しでも役に立てれば本望だと思っています。 |
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